大久保 昭さんとお別れしました

 

昨年6月頃より、間質性肺炎で入院療養していた大久保 昭さんが、4月12日、海南病院で亡くなった。

直接の死因は急性呼吸不全。享年76歳でした。

県立中央病院に見舞いに行ったとき、涙ぐみながら、「もうバイクには乗れないと思うから、党で使ってくれ」と言われ、バイクを2台いただいた。現在、牟岐町のOさんとUさんが、新聞配達、ビラ配布などに使わせていただいている。

その後、海南病院に移ったが、医師からは、「そう長くはない」と、家族に告げられていたようだ。

町外に嫁いでいる娘さんが中心になり、新しい家で療養して欲しいと建替えをしたが、とうとう家に帰ることができなかった。

 

昨年8月、海陽町で建築中の実家

見舞いに行ったとき、この写真を見せてあげた

家に帰って、女房と一緒に字を書く練習をしようと思っているなどと話していた

 

 

 

 

何歳の時(65歳位だろうか)の写真かは不明であるが、読書会に参加していた時の写真らしい。告別式に出席してくださった方が、「ええおっちゃんやった」と言ってくださったが、大久保さんらしさが出ている写真だと思う。

見かけはゴツイ感じだし、声もデカかったが、神経細やかで心の優しい方だった。子どもの頃は、勉強ができるような環境でなかったと、過去を取り戻すかのように良く勉強していた。新聞は、隅々まで読んでいたし、図書館で本を借りて良く読んでいた。また、独学で英語の勉強をしていた。 粘り強い人でもあった。不自由な足で、新聞配達、ビラ配りなどをコツコツ粘り強くやっていた。

釣りが好きで、アジ、グレ、アイゴなどを狙って浅川港に出かけ、沢山釣れたときには知り合いに配っていた。私も、もらったことがある。「ようけ釣れた」と嬉しそうに言っていた笑顔が忘れられない。

1年間の闘病生活だったけど、もう頑張りすぎるほど頑張ったと思う。奥さんが、配られたばかりのしんぶん「赤旗」日刊紙と数冊の本を棺に入れていた。ゆっくり休んでくださいね。

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