南相馬に行ってきました  その1

 もう40年ほど前、19歳の夏であったが、3000円のオンボロ自転車で東北地方を1ヶ月ほどかけて旅したことがある。今から考えると、自分探しの旅ではなかったと思うが、茨城県の大洗海岸を出発し、福島、宮城と海岸線沿いに走り、青森から日本海側に移り、新潟、福島を経て茨城に帰ってきた。その間、海岸でテントを張って自炊したり、友達の家に泊めてもらった。言葉は、青森に近づくほど理解で出来なくなり、地元の人同士の会話など、ほとんど理解することが出来なかった。寒さ厳しい地方に育ったせいだろうか、口をあまり開けないで喋る人が多いし、ほっぺが赤い方が多かった印象が残っている。そして、素朴で優しい人が多かった。海岸でテントを張っていると、近所の方達が集まってきて、「どこさ、いくだ」って声をかけていただいたし、「これ、たべっか」って、おにぎりなど食べ物を持って来てくれた。 あの旅での一番の収穫は、人の親切、優しさを感じさせてもらったことだと思う。あの体験が、その後の私の人生観、世界観に大きな影響を与えたのは間違いない。

 3月11日、そんな東北の人々を、あの地震津波が容赦なく襲った。福島では絶対安全だと言われてきた原発の建物が吹き飛んだ。滅多に夢など見ない私だが、あの繰り返し放映される津波の映像は強烈だった。何度も、津波から逃げる夢を見た。出来ればすぐにでも駆けつけて恩返しをしたかったが、諸般の事情でそれもなかなかそうはいかない。少々のカンパや支援物資を送らせて貰ったが、何としても直接出かけていって、何でも良いからお手伝いをしたいと思っていた。

その機会がとうとうやって来た。いろんな人に留守の間のことをお願いして、9月18日から21日までの短期間だが、南相馬のボランティアセンターのお手伝いに行って来た。移動で2日かかってしまい、実質2日間の支援活動であったが、今後も支援活動を強化する必要があるので、現地の状況、ささやかな経験等をお知らせしたいと思う。

18日、午前6時、日本共産党徳島県委員会事務所を島本さんと2人で出発  

扶川県議の車をお借りしました。

 

車は、名神、北陸道、磐越自動車道等を乗り継ぎながら、本日の宿、福島市にある旅館に向かいます。  ナビちゃん頼むよ~

 

 

 

高速料金は、震災支援車であるため手続きをすれば無料になります

北陸道で新潟まで

新潟から磐越道で福島へ

食事、トイレ休憩等をしながら予定通り午後7時には宿に到着しました。時速100キロの速度で走る機会は滅多にないので疲れました。

 

 

 

 

 

19日、午前5時30分、南相馬にあるボランティアセンターに出発

センターまでは2時間の予定です

途中、耕作放棄地が多いな~なんて思いながら走っていたら、飯館村の標識が。ここが、計画的避難地域に指定されている飯館村でした。

本来なら稲が植わっている筈だけど、今回の原発事故により作付けを断念したと思われます。

9時までにと言われていましたが、早めに宿を出発したので8時頃にはセンターに到着しました。

センターには、京都、愛媛からこられたスタッフが。もう1人、50CCのスクーターで熊本から駆けつけた青年も。

 

 

初日は、原発事故で仮設住宅に避難されている方々にたいする支援物資のお届けです。

続きは次回で

 

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