オスプレイ配備と低空飛行問題を考える会を開催します

米軍輸送機オスプレイは岩国基地に陸揚げされてしまいましたが、戦いはこれからです。以前から繰り返し行われている米軍戦闘機の超低空飛行訓練のうえに、危険極まりないオスプレイの低空飛行訓練など、私たちの住む上空でさせるわけにはまいりません。事故があってからでは遅いのです。

8月2日(木)海部郡の各町を訪問の後、かいふ農協海南支所2階会議室にて午後4時から学習会を開催します。今回は問題提起の意味で日本共産党阿南地区委員会が主催しますが、この低空飛行訓練問題は、そもそも、党派など関係のない問題ですので、今後は思想信条、党派を越えた運動に発展できればと考えています。参加自由なのでお気軽にご参加ください。

なお、チラシでは、かいふ郡農協となっていますが、かいふ農協の間違いです。お詫びし訂正いたします。

オスプレイ陸揚げノー 岩国での緊急集会に参加しました

山口県の岩国で開催されたオスプレイ配備反対緊急集会に参加してきました。徳島県からは8名。全体では、周辺自治体から各団体の代表など1,100名が岩国市役所前公園に集結しました。

この日、米軍三沢基地所属のF16戦闘機が墜落しましたが、今でも全国各地で危険な低空飛行訓練がされているに、さらに、未亡人製造機といわれているオスプレイの沖縄普天間基地への配備。そして、全国での低空飛行訓練などとんでもない話です。

吉岡光則実行委員長(住民投票を力にする会)は、「たとえ陸揚げが強行されても永久に飛び立てない状況をつくり、錆びつかせよう」と呼びかけました。そのとおりです。

井上哲士参議院議員の挨拶  実行委員会では全政党に案内していたとのことですが、参加は井上氏のみ。各政党の本気度が伺えますね。

井上氏によると、オスプレイの訓練最低高度は60mと海兵隊マニュアルで決められているそうで、最初から日米合意や日本の航空法を守る気がないということです。政府は「地元の理解を得るために全力を尽くす」って、言っているようだけど、そんなの理解しろと言う方がおかしんじゃないですか。そんなこと言う前にアメリカに「止めろ」との一言が何故言えないんでしょうかね。

岩国市在住の女子大学生・吉良紗也香さん(20)は、「戦争のための施設や道具がある岩国ではない平和な岩国に。不安や危険がない、安心して暮らせる岩国を望みます」と訴えました。若い人の勇気ある発言には感動です。各団体からも低空飛行訓練反対の取り組みなどの報告がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オスプレイ配備×の意思表示に対し報道カメラマンのシャッターが一斉に

集会終了後、市内をデモ行進しました。通行中の方々からは、手を振ってくださったり激励の拍手がありました。

 

 

 

 

 

 

麦わら帽子をかぶって歩いているいるオッサンは、どこかで見たオッサンですね。はい、私です。暑かった~ 汗びしょでした。

本日、オスプレイは岩国に陸揚げされたようですが、海部郡でもオスプレイ配備、低空飛行訓練反対の運動をひろげないといけないですね。8月早々には、海陽町で学習会を計画しています。

冊子「東北のいま」が完成しました

東北視察で見聞きしたことを多くの人に知っていただきたいとブログにアップしたり、写真をファイルし機会あるごとに報告会をさせていただいてきましたが、なかなか思うようには進まないので、冊子「東北のいま」を作成し、配布することにしました。とりあえず100部用意しましたが、本日、農協、両漁協、森林組合、商工会、婦人会、老人会、消費者協会等の団体を訪問し数部ずつお渡ししてきました。それと、近所のお宅にも配布してきましたが、それだけで作成した冊子の半分以上が無くなってしまいました。コピーしたりホッチキスで止めるのも大変だけど、時間を見つけて追加しないといけないようです。

まあ、他にもすることがいっぱいだから、焦らず騒がずボチボチやるしかないかな。

なっちゃんが帰りました

12日から次男夫婦と来ていたなっちゃんが、本日、帰りました。早いもので2歳と1ヶ月になりました。昨年来たときは、まだ歩くことも出来ませんでしたが、今回はチョコチョコ歩けるようになっているし、こちらが言うことは大方理解しているようでした。そして、簡単な言葉はしゃべれるようになっていました。

ただ、それこそ一年ぶりですから、「じいちゃんの所に来て」って言っても、そううまくは行きません。ママにしっかり抱きついて来ようとはしません。少しずつは慣れてきているようでしたが、最後まで抱っこすることは出来ませんでした。初孫と言ってもなっちゃんにとっては、あまり見たことのないオッサンですから警戒するのは仕方がないことですね。来年ぐらいは何とかなるかな。

なかなかの出来です

牟岐町海の総合文化センター玄関ホールにおいて第1回等身大人形創作展が開かれています。むぎまち活性化協議会の主催によるもので、手づくり人形がいっぱい。

美空ひばりさんがお出迎え

 

 

 

 

 

 

良く出来ているでしょう。こんなのを田んぼの近くにおいて置けばサルやシカも近寄らないかもしれないですね。7月14日まで展示されます。

 

 

7月25~26日、牟岐町商工会2階会議室で人形づくり講習会が開かれるようですよ。

東北視察 その7

今回、2回目の東北訪問でしたが、被害の大きさ、深刻さを改めて実感させられました。私自身無意識にため息をつくことが多いのですが、新たな被災地に到着するたびにため息をついているのが自分でも良く分かりました。何とか牟岐町での被害を少なくしたいとの思いで参加した視察ですが、現場を観させていただく度にその難しさを感じざるを得なかったからです。子どもやお年寄り、障害者などの災害弱者といわれる方々をどのように避難させるか、被災後の対策など、難しい課題がいっぱいです。自然に対して、人間がいかに無力であるかを実感させられた旅でもありました。

今回の視察で写真を240枚ほど撮ってきました。ほんの一部をご紹介させていただきましたが、気がつかれたでしょうか、写真にはほとんど人が写っていません。住宅を壊され、職場を奪われればその地域から人が消えてしまうのです。牟岐町に今回のような津波が押し寄せれば、牟岐町も例外ではありません。現在の被災地のようになるのは避けられません。でも、命さえあれば時間はかかっても復興は可能です。「東北の今」を観てきた一人の人間として、一人でも犠牲者を少なくするための努力を今後も続けたいと考えています。

帰ってから被災地の写真をファイルし、機会あるたびに視察の報告をさせていただいています。

長い間、お付き合いしていただきありがとうございました。これで、東北視察については終らせていただきます。

東北視察 その6

宮城県宮城郡松島町。地図上では石巻市の斜め左下です。まつしまや~ ああ~まつしまや~で有名な日本三景に選ばれている所です。平成24年1月13日現在 全壊219戸、大規模半壊351戸、半壊1216戸、一部損壊1496戸。死者16人でした。

 

昼食で立ち寄ったところですが、他の地域と違って比較的被害は少ないようで土産店も普通に営業しているし、駐車場には観光バスがたくさん停まっていました。

 

 

遊覧船の職員さんに伺ったところ、船着場で2m位の津波がきたようですが、この場所での被害は少なかったようです。島に囲まれたような地形が津波の被害を少なくしたのでしょうね。

仙台空港周辺

仙台空港は海のすぐ近くに位置し、津波でも大きな被害を受けました。飛行機やヘリが流されていく様子をニュースで見られた方も多いのではないでしょうか。また、津波が建物や車、農地を押し流していく様子をヘリからの映像で見られたかと思いますが、あれはこの辺りの映像でした。

民家がパラパラ残っていますが、内部はメチャメチャで住めるような状況ではありません。私の友人Hは、農地も機械も全て流れてしまい、自宅も一階部分は使えるような状況ではなく、今現在も少し離れた息子のアパートで暮らしているとのことです。

次回に続きます。

東北視察 その5

石巻市は、地図上では女川町の左斜め下。高さ8,6m以上の津波が押し寄せた。死者行方不明者(平成24年2月20日現在)3837人、被災住家は53742戸、その内の約4割22357戸が全壊。

本町出身の方も、奥さんとともに亡くなりました。震災後1ヶ月ほどして、ほぼ同じ所で遺体が発見されたようでした。

 

 

 

川沿いの防風林が海水の影響でしょうか、枯れてしまっています。

 

 

門脇地区。16mの津波が押し寄せ、流された車や瓦礫に火がつき火災が発生。門脇小学校も焼けてしまいました。子どもたちは教師達の誘導により裏山に無事避難したそうです。

 

走っても走っても震災の傷跡ばかりなので気が滅入ってしまいましたが、少し気持ちが明るくなったのは、日本製紙石巻工場の操業再開。煙突からの煙(蒸気?)が出ているのを見て、「ここに生きている人間がいる」って感じがしました。住宅が流されてしまっているので、工事関係者以外の住民を見掛けることが少ないのです。

次回に続きます。

東北視察 その4

宮城県牡鹿郡女川町。地図上では南三陸町の下になり、原発で有名な所です。今回は、原発の事故はなかったようですが、2号機の原子炉建屋の地下が浸水し、非常用電源の一部が起動しなかったようです。東北電力側は、「重要施設に津波は及んでいない」と発表していますが・・・。

最大津波高14,8m、死者行方不明者(23年8月3日現在)415人

住宅被害数(平成23年7月1日現在)4568戸

 

 

 

 

 

 

高台にあるのが町立の医療施設。 牟岐町の職員が何度か女川町に支援に訪れていますが、この施設を拠点に支援活動をしていたようです。

 

 

残っているのは鉄筋コンクリートの建物のみ。この辺一帯は住宅街だったのでしょうけれどね。

 

 

 

 

3階建ての建物が基礎ごと倒れ、そのまま放置されています。所有者が不在の状況なのかもしれません。津波の物凄さが想像されます。次回に続きます。

東北視察 その3

宮城県本吉郡南三陸町。地図上では、気仙沼市の下になります。防災対策庁舎での惨劇がマスコミで良く報道された所です。23年8月31日時点での死者行方不明者は793人、半壊以上の世帯は3301戸、半壊未満は2117戸です。

この防災対策庁舎で多くの職員が犠牲になりました。最後まで避難を呼びかけていた女性も最後には声が震えていたといいます。ほんと怖かったでしょうね。

あの放送でたくさんの方の命が救えたかもしれません。でも、24歳の青春は二度と戻ってくることはないのです・・・。

 

 

 

 

牟岐町の場合、現時点では庁舎が被害を受けることは確実です。それも数分後には津波の襲来が予想されているのです。立っていられないような地震があれば町長も含めて職員は直ちに避難すべきだと思います。そして、町民のみなさんも避難指示の放送など待つことなく直ちに避難することが大切ではないでしょうか。南三陸町の惨劇を繰り返してはならないのです。

南三陸町では、観光ボランティアを務めていた町民のサークル「汐風(しおかぜ)」のメンバーである阿部さんが、震災での自らの体験を語っていただくとともに、被災地域の案内をしていただきました。

阿部さんによりますと、浸水深最大20メートルを超える津波が押し寄せたが、35分から40分、遅いところで1時間の避難する時間があった。自分自身は車で逃げながら避難を呼びかけたが、それに応じなかった方がいて、その方は亡くなったそうです。まさか、あんな大きな津波が来るとは想像できなかったかもしれませんね。震災時、てんでに逃げることの大切さを強調されていました。また、避難グッズとして懐中電灯、水、ラジオなどは必需品ですが、体力を考えて重過ぎないようにすることが大切とのことでした。なるほど、重いリュックなんか背負ってたら走れないですものね。

 

 

 

 

 

 

 

仮設店舗が並ぶ商店街。着替えのポロシャツを買い、「徳島から来ました」って、店のご夫婦に挨拶しました。驚いた様子でしたが、帰り際に「娘が香川の人と結婚することになったんです」って、笑顔で話していただいたのが印象的でした。

次回に続きます。