同級生がアルコールとたたかっています。No.34

川辺秀年
5時間前 ·
アル中になりました No.34 金(Gold)に泣いた
金ってなあに? No.1 風雲 急を告げている。
友から気付きをもらったので、酒から脱線して金のお話をします。
それは49年前の夏の事でした。
8月15日、弱冠二十歳の私は英国に着いた翌日、英文学の父と言われたチョーサーによる「カンタベリー物語」で有名なカンタベリーにいました。
!!!突然ドルが崩壊した・・・呆然自失・・・
時の大統領のニクソンが悪魔に見えた、ず~っとそう思っていた。今は、ニクソンショックとも呼ばれている。
彼はたった一言、「本日ただいまを以て、ドルと金の交換を停止する。」と言っただけ。その一言で、世界中が大パニックに。
基軸通貨であり世界最強だったドルが突如崩壊して、世界中の銀行に衝撃が走った。ドルの両替は停止された。
銀行という銀行は長蛇の列で一種の取り付け騒ぎ。生まれて初めて目にした光景だった。
「遅れてはならじ」と私も列に並んだ。パニックと恐怖心が世界を襲っていた。
やっと窓口に着いて懇願した。「日本から来たばかりの学生です。ドルしかありません。何とか貴国のポンドにして下さい。お願いです。助けて下さい!」もう必死だ。今晩の宿泊費もない。
窓口の「優しそうで美しいお姉さん」は、東洋からやってきたばかりの、いたいけない若者を可哀想に思い、「それは大変でしょう、300ドル両替してあげる」と。
再び列に並び、窓口に辿り着いたら、頼もしそうなお兄さんが「よし、何とかしてあげよう!」と50ドルを交換してくれ
3回目の窓口では、怖そうなオジさんが、「何に使うの?コーヒー飲むんだったら、コーヒー代だけにして。」と突き放された。
両替不能なのに、ドルの価格が下がり始めた。あり得ない!為替レートが日々変動するのは今なら当たり前。1ドル360円の固定レートに27年間も慣らされると、為替が変動するなんてあり得ない!と思っていた。生まれてからず~っとそうだった。人間の感覚は麻痺する。
1944年のブレトンウッド体制で、米ドルは、金1オンスを35ドルとした兌換紙幣になった。そのドルとの両替レートを固定する事で、各国の通貨は間接的に兌換紙幣になった。金の裏付けを持った通貨だ。
それが崩れた。兌換紙幣は世界中から姿を消した。今の世界経済と金融に繋がる大変化が起こった瞬間だった。その後の50年で蓄積された矛盾が今まさに吹き出そうとしている。
風雲 急を告げている。コロナはその切っ掛けでしかない。でも人々の命が掛かった大掛かりなキッカケだ。
ドルショックが起こった僅か半月前に、外国為替に強いはずの東京銀行のお兄さんは、こう言った。「お客さん、日本円は海外では紙屑ですよ。なんと言っても米ドルです。」
素直な私は、全財産をドルにして、横浜からナホトカに向けてソ連船で旅立った。
早朝から真夜中まで4つものアルバイトを掛け持ちして稼ぎ、不足分は父親と京都の友から借りた、大切な大切な全財産が、ドンドン減っていく。
為替は怖い!金も怖い!・・・が、この貴重な体験は、今回活かされるかも・・・。但し、酒に手をつけないのが大前提!

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